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10.地震と津波と原発と、東日本大震災におけるいわき市消防本部の活動状況

いわき市消防本部総務課
総務係長 大 平 公 規

はじめに

 いわき市は、福島県の東南端、茨城県と境を接し、東京23区の約2倍の面積を有し、市としては、日本一を堅持してきましたが、平成の大合併により、今は市で10番目の面積となっています。
 東は太平洋に面しているため、海岸線は、南北約60劼砲盖擇咫寒暖の差が比較的少なく、温暖な気候に恵まれた地域です。西日本の方には、「東北地方は雪下ろしが大変ですね」とよくいわれますが、雪はほとんど降りません。
 福島第一原発からは、市境付近の一部地域が30匏内に入っていますが、放射線量はそれほど高くないことから、緊急時避難準備区域には指定されていません。
 人口は、震災前の3月で34万人が生活していましたが、9月現在の統計では、33万4千人となっており、統計上は6千人程度の人が、震災による津波や原発事故の影響で、市外へ避難したことになります。
 当消防本部は、1消防本部・5消防署・1分署・7分遣所、職員数353人体制ですが、全職員が震災当日中に自主参集し、活動体制に入りました。

被害の概要

 3月11日、消防庁舎の事務室で、尋常ではない横揺れを受けたとき、とうとうその時が来たと感じた。宮城県沖地震である。この地震は、約40年の周期で発生しており、前回の発生から33年近く経過しているため、10年以内に70%、30年以内で99%の高い確率で発生するといわれていたのを記憶していたからである。
 しかし、あまりの地震の激しさに震源地は福島県沖ではないかと思えた。
 最初の地震がおさまり、庁舎周囲の民家を見渡すと、幸いにも民家には瓦の落下、外壁の亀裂等の損傷が認められるものの、完全倒壊に至るような民家はなく、阪神淡路大震災に比較して建物等の損害や被災者は少ないのではと考えられた。
 しかしその考えは、テレビ映像での宮城県を襲う津波をみて、楽観的な考えに過ぎないことを思い知らされた。当市も約60劼傍擇岾ご濱を有し、宮城県を襲う津波が間もなくいわき市沿岸部にも届くことは容易に想像できたからである。
 この津波により、消防庁舎については、沿岸部に立地する平消防署四倉分署、小名浜消防署江名分遣所が被災し、消防庁舎としての機能を失うこととなった。
 さらに、ちょうど1か月後の4月11日、そして12日には市内の活断層を震源とする震度6弱の直下型の地震が発生し、沿岸部のみならず内陸部においても大きな被害を被ることとなった。

平消防署四倉分署の被害状況

いわき市内の被害状況(9月2日現在)

 死 者 309名
 (うち3名は4月11日の余震にて死亡)
 不明者 38名
 火災発生件数 11件
 (4月11日の余震に伴う火災2件)
 住家被害 54,946棟
 (うち全壊6,895棟 大規模半壊5,569棟 半壊15,957棟)

住宅地の道路に流れ込む津波
(小名浜消防署江名分遣所屋上から撮影)

活動について

119番受信体制
 地震直後から火災、救急、救助の要請が多数入電し、出動指令及び受付業務は困難を極めた。119番通報、署所への駆け込み通報、出動車両による自己覚知が輻輳し、指令装置の能力を超えてしまい、事案管理もままならない状態となった。
 当市指令課は通常4名体制で勤務しているが、震災後は8〜10名体制まで増強して対応、これが1週間続いた。
 さらに、市庁舎が地震で被災し一時使用不能に陥り、当消防本部庁舎が市の対策本部となった。
 そのため、消防の電話回線は災害対策本部との共用となり、パンク状態となった。

救助・捜索活動
 他の消防本部と同様、ただちに管内被災状況の確認及び被災者の救助活動に入ったが、やがて日没になると情報が錯綜し、沿岸部が尋常でない被害を受けているのは容易に想像できるのであるが、正確な情報はなかなか把握できない状態であった。
 翌3月12日の夜明けとともに、津波ハザードマップを利用し、沿岸地域を17区域に分け、可能な限りの人員を総動員し、応援にきた緊急消防援助隊の静岡県隊及び自衛隊員とともに、救助・捜索活動を実施。
 その後、行方不明者の多い地区に重点を移し、活動は延べ24日間に及んだ。
 捜索活動においては、地元消防団との連携が重要であった。案内人無しではすべての家屋を確認していくことになり効率が悪い。その点地元消防団に案内していただけると、「ここの家は空家」「ここの家人は、避難所にいた」「この家には70歳代のお婆さんが住んでいたが、誰も見かけていないようだ」等の情報が入り、効率的に捜索することができる。通信回線が断裂していたことから、事前に消防団隊へ依頼することができなかったため、案内人のいない隊もあったことが悔やまれ、震災時には連絡手段の確保が最重要課題であると感じた。

 捜索活動人員(延べ人数)
 消防隊 526名
 緊急消防援助隊 324名(静岡県隊)
 自衛隊 2,327名
 警察隊 1,653名(広域応援隊を含む)
 消防団 3,593名

消火活動
 地震発生後、9件の火災が発生したが、うち1件は津波被害のあった沿岸部で発生し、消防車両14台、消防職員52名、団員10名の総勢62名で消火にあたった。
 しかし、地震による断水で、水利確保が困難になったこと、相次ぐ余震、津波情報により、消火活動の一時中断を余儀なくされた。
 結果、有効な活動ができず、鎮火までに16時間あまりを要し、約50棟が焼失した。

津波と火災の被害を受けた久之浜地区

救急活動
 救急出場については、震災後から急激に救急要請が増加したことから、救急隊の増隊及び配置換えをして対応にあたった。
 まず、保有する予備救急車2台を活用し2隊増隊を実施、次に、被害の少ない山間部に配置してある救急車4台を救急需要の多い市街地の署に配置し、保有する15台の救急車すべてを市街地及び沿岸部へ向け、救急需要の増加に対応した。
 また、多数の傷病者が予想されたことから、救急救命センター医師と協議し、出動救急隊にトリアージ実施を指示、震災によるもの、急病等を含め、すべてのCPA傷病者を搬送対象外とした。
 発災後72時間が経過し、地震、津波の自然災害による救急搬送が落ち着いてくると、次第に被災した病院及びライフラインの寸断により医療機能を維持できなくなった病院からの転院搬送が増加していった。
 特に津波で被災した病院からの転院搬送では、自隊だけでは対応できず、緊急消防援助隊及び県内応援隊の支援を受け、延べ55隊で105名の転院搬送を行った。
 通常の2〜3倍近い救急要請を受け、1週間ほど経過すると困った事態が生じた。原発災害の影響で物流が滞り、医薬品が不足する事態に陥った。特に重篤な傷病者搬送に必要不可欠な酸素が底を着いたのである。市内では入手困難となり、被災の少ない90劼曚瀕イ譴臣楼茲龍伴圓泙嚢圓辰督潅し、急場をしのいだ。
 医薬品や救急資器材については効率を優先し、1箇月分程度の在庫管理で行ってきたが、大規模災害に対応するためには、ある程度の在庫は必要と感じた。

福島第一原発事故
 今回の東日本大震災で、地震の規模が、前回の宮城県沖地震をはるかに超え、震源域が南北500辧東西200劼傍擇屬里癲崛枋螻亜廖△海譴曚匹梁臘吐箸押し寄せるのも「想定外」ではあるが、福島県民にとって最大の「想定外」は福島第一原発の電源喪失によるメルトダウンであった。
 福島第一原発の1号機が12日に爆発し、さらに14日には3号機が爆発したことにより、市内から人が逃げ出し始めた。原発が水素爆発を起こし、放射能が拡散しているが、正確な情報は誰もわからない、政府の発表も「直ちに人体に影響を与える濃度ではない」と繰り返すだけで、どのくらいの量を浴び、この地域は汚染されているかどうかさえ分らないため、みんな疑心暗鬼になり、とにかく原発から少しでも遠く離れようと逃げ出したのだった。
 今となっては正確な統計もなく調べる術もないが、小さい子供を持つ親などの多くは、いわき市外に避難し、残ったのは仕事の関係で避難できない人、燃料不足により避難する車のガソリンを手に入れることのできなかった人、そして脱出手段を持たない高齢者世帯や災害対応に従事する人々であった。
 日が暮れても、明かりが灯っている家はわずかで、店舗の照明も消え、主要道路でさえ、ガソリン不足の影響も相まって走行車両は極端に少なく、まるで深夜のようである。日曜日でさえ、外を歩く人の姿は見えず、子供の遊ぶ姿は見えず、まるでSF映画で見るような、侵略されて突然、街から人が消えたような光景であった。
 避難した市民が戻ってきたのは、3月後半のことで、放射線量が公表され始め、ミリシーベルトやマイクロシーベルトの単位が理解されるようになってからである。

今後の教訓

 消防の活動に話を戻すと、今回の震災でまず、最初に困ったことは、通信手段が確保できないということである。
 庁内イントラネットもメールや、データのやり取りが不能、IP電話は不通、災害時優先登録した携帯電話もつながりにくく、結局一番頼りになったのは、アナログ回線の電話とファックスであった。
 次に、活動で一番困ったのが燃料の不足である。消防隊用はもちろんのこと、避難所の連絡用や食料配達用の公用車の燃料にも事欠く有様であった。
 また燃料不足は思わぬところに影響を及ぼした。昼夜を問わずに勤務し続け、やっと自宅に帰宅した職員が、さんざんガソリンを求めて探し回った挙句、結局給油することができず、翌日、遠路はるばる自転車で出勤しなければならない事態も数多く生じた。
 燃料不足は、消防職員に留まらず、医療従事者、災害対応する市職員すべてに及び、通勤用の燃料が確保できないことから、帰宅せずに連日連夜、職場に泊まり込まざるを得ないケースも発生した。
 今まで、緊急車両の燃料をどう確保するかが、災害対策を計画するときの重点課題であったが、給油取扱所の地下タンクでさえ空になるとは想定していなかった。今後の課題として、緊急車両や公用車の燃料確保はもちろんのこと、従事する職員の燃料をどう確保するか考えておく必要がある。
 また、こんなこともあった。自主防災組織については、全国の消防本部で指導していることと思われるが、残念ながら当地域の自主防災会は、年齢構成が高く、援助を受ける方であった。なかでも印象的だったのは、ある地区の自主防災組織の会長が怒鳴り込んできたときの言葉だった。「何でうちの地区には給水車を巡回させないのだ。いつも自主防災会の訓練には協力してやっているのに!」もちろん給水車は水道局の担当で、直接は関係ないのだが、驚いたのは自分たちの訓練に対する認識である。一部の組織では炊き出しなどを行っていたところもあるようであるが、今後の自主防災組織の指導のあり方について考える必要がある。

終わりに

 津波により被災した2つの消防庁舎も復旧し、現在は通常の業務を行っており、市民の生活も日常を取り戻しつつあります。
 しかし、一旦海沿いの地域に行くと瓦礫は片づけられているものの、住宅の基礎だけが残った街並みが残り、復興がこれからであることを再認識させられます。
 さらに、当市では福島第一原発から半径20勸米發痢峽找区域」から避難してきた住民が、仮設住宅等で生活しており、我が家に帰ることさえできない方もいます。
 原発から20匏内の被災者の方々は、事故発生時に緊急に避難したため、必要な荷物を持ち出せなかった方がほとんどですが、この寄稿を書いている9月現在も、2時間程度の一時立入りが認められたのみで、帰宅の目途は立っていません。
 消防の活動においても、原発事故避難住民が警戒区域へ一時立入りする際、急病や事故に備えての救急車配置を県内各消防本部が交代で実施しており、スクリーニング場所にはDMAT、除染テントには自衛隊が待機し、原発事故対応はいまだに続いている状態です。
 どうか一日も早く原発事故が収束し、避難されている方々が無事帰宅できることを祈ります。



NO.106 (2011.秋号)
巻頭随想 被災者の生の声・叫び〜東日本大震災の現場から
1.東日本大震災における久慈消防署の活動状況について
2.東日本大震災における消防の対応について
3.平成23年東日本大震災における消防の活動
4.命綱となった三陸縦貫道山田道路
5.3月11日
6.被災から学び得たもの〜 明日への希望として 〜
7.東日本大震災における活動状況と今後の課題について
8.度肝を抜かれた東日本大震災
9.東日本大震災における教訓
10.地震と津波と原発と、東日本大震災におけるいわき市消防本部の活動状況
11.東日本大震災が発生した日
12.東日本大震災並びに原子力事故に係る活動状況について
東北地方太平洋沖地震津波による岩手・宮城県での消防庁舎の被災状況について
連載講座 第13回 堤防づくりに“心”の土を・熊沢蕃山
地域防災実戦ノウハウ(69)
連載講座 第1回 江戸時代の消防事情
火災原因調査シリーズ(62)・製品火災
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