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6.阪神・淡路大震災10年以降のボランティア活動ー中越地震から能登半島地震へー

大阪大学 コミュニケーションデザイン・センター
特任講師  菅   磨志保
  

1 .はじめに ー 阪神・淡路大震災10年目の災害ボランティア活動

 「ボランティア元年」と呼ばれた阪神・淡路大震災の年から10年目を迎えようとしていた2004年、日本列島は非常に多くの災害に見舞われた。発達した梅雨前線と10本の台風通過によって各地で水害が相次ぐとともに、新潟県中越地方や福岡県西方沖で地震が発生、大規模な被害が生じた。これらの被災地にはまた、大勢のボランティアの姿があった。この2004年度は、年間を通じて87もの「災害ボランティアセンター」(以下、災害VC)が開設され、まさに阪神大震災以来の全国的な規模で救援活動が展開された。この年の活動を振り返ると、改めて震災から10年の間に、災害時のボランティア活動を支える様々な社会的な仕組みが創られてきたことを実感する。
 まず、比較的規模の大きな災害が発生すると必ず、しかもかなり早い時期に災害VCが開設され、大勢のボランティアを被災者のニーズにつないでいく体制が創られるようになった。
 こうしたセンターの開設・運営にあたってノウハウを提供してきた民間支援団体のネットワークも充実してきた。災害発生から数時間の間に、現地の具体的な被災状況をはじめ、どのような支援団体が、どこで、どういった活動を始めているかという情報が、メーリングリスト等を通じてネットワーク関係者の間で共有され、さらにHP等を通じて広く発信されていった。こうした情報発信のお陰で、被災地から離れた場所にいても、現地の状況についてかなり詳しい情報が得られるようになった。
 災害VCの体制づくりに必要な資源を調達するルートも充実してきた。センターの母体となることが多い社会福祉協議会では、地域ブロック単位で災害時相互応援協定が締結され、被災県外からも応援職員を派遣する体制が創られてきた。また、共同募金会でも、災害時に市民活動を資金的に支援する制度として「災害等準備金」などの制度が整備・拡充され、被災地の災害VCや、外部から支援に来た団体への資金助成も行われるようになった。こうした民間公益団体によるボランティア活動支援体制が整備されていく中で、行政セクター、企業セクターからの資源提供も促進され、資源のやり取りを通じた協力関係も形成されてきた。
 以上のように、もともと災害VCは、個々のボランティアのバラバラの善意を集め、組織化し、それらを効果的・効率的にニーズにつないでいくために創られた仕組みであったが、震災10年目の全国的な動きから、改めてこうしたセンターが社会的な仕組みとして定着してきたこと、またその運営にあたっては、他のセクターからも資源を調達しつつ、多様な主体と連携して行われていることが明らかになった。と同時に、センターの運営に関しては多くの課題が残されており、災害VCという支援枠組みでは対応しきれない課題があることも見えてきた。
 以下では、震災10年という節目の年から始まった新しい動きを紹介し(2.)、こうした“ポスト震災10年”の新たな取組みが、能登半島地震の支援にどのような形で活かされていったのか、その一部を紹介する(3.)。その上で、今回の能登半島地震への対応で指摘された問題点について述べ、今後取り組むべき課題の検討につなげたい(4.)。

2 .「震災10年」以降の新たな取り組み

(1) 災害ボランティア活動の環境整備に向けた政府と民間のラウンドテーブル
ー 内閣府「防災ボランティア検討会」
 2004年9月18日、豪雨災害で活躍したボランティアと、防災担当大臣はじめとする政府・行政関係者、学識関係者らが一堂に会し「7月豪雨ボランティア懇談会」が開かれ、ボランティアを労うとともに、ボランティアからの活動報告や提言を受けて、今後、取り組むべき課題について意見交換がなされた。さらに、この懇談会後に発生した新潟県中越地震を経て、12月に開催された恒例の「防災とボランティアのつどい」で出た課題や提言をひきとる形で、2005年3月、内閣府に「防災ボランティア検討会」が設置された。
 この検討会には、全国から経験豊富な災害ボランティア関係者が集まり、年2、3回の会合とメーリングリストを通じて、災害時の活動環境の向上・整備に関する検討が重ねられていった。その成果の一部は「防災ボランティアの情報・ヒント集」としてまとめられ、内閣府のホームページで広く発信されていった。またこの場で、各団体の取り組みや、自主的な部会(検討会の分科会が発展)の成果物(水害対応や安全衛生等のパンフレット)が紹介され、情報・認識の共有も図られていった。こうした協働作業(=検討過程)を通じ、災害NPO同士にとどまらず、会議を主催した内閣府に加え総務省消防庁、厚生労働省などの行政、民間公益団体(日本赤十字社、共同募金会、社会福祉協議会等)同士の信頼関係まで築けたことは、成果物(=検討結果)と同等か、それ以上に意義があったように思う。実際、その後の災害対応時の連携場面で、ここで培われた信頼関係が活かされていたと言える。

(2) 民間分野における災害時の有効な資源活用を目指した支援体制づくりの試み
ー「災害ボランティア活動支援プロジェクト会議」
 こうした行政側の動きと呼応して、より直接的で具体的な支援体制づくりを目指した動きも出てきた。新潟中越地震の発生に際し、従来から災害VCの支援体制づくりに関わっていた社会福祉協議会、共同募金会、日本赤十字社等の民間公益団体、災害NPO、ここに日本経団連1%クラブが加わって連絡会が設置され、それぞれの支援状況を共有し、資金・モノ・人材の運営をめぐる課題について情報・意見交換が行われていった。
 この連絡会での検討を経て、2005年1月、中央共同募金会に「災害ボランティア活動支援プロジェクト会議」(略称、支援P)が設置され、民間分野の資源を、災害時の支援体制づくりに活用していく効果的な仕組み ーー 資金・モノ・人(コーディネーター)とその受け皿(=災害VC)を運営していく仕組み ー の検討が始まった。
 支援Pではまず、新潟県中越地震でそれぞれが実施してきた支援活動を検証するために、災害VCと派遣職員への調査を実施した。その結果、センターの必要性については理解が浸透してきたが、外部からのボランティアの対応に追われ、被災者主体の活動を展開し難いこと、センターの運営ノウハウの確立、コーディネーター(人材)の配置と育成、資金・資機材の調達に課題が残されていることも明らかになった。
 これらの課題の解決策として、支援Pの委員構成団体・全国社会福祉協議会は、体系的な災害対応ノウハウを持った人材の育成プログラム(災害ボランティアコーディネーター研修)を企画・実施していった。また、中央共同募金会は、経団連1%クラブとの連携により、民間企業からの寄付を現地が求めている支援(コーディネーター派遣費用を含む資金や資機材)につなげていく仕組みを検討していった。

(3) 「災害ボランティアセンター」以外の支援活動の展開
 災害VCの存在意義が広く認識され、より有効な活動を推進するための支援体制が検討されていく一方、中越地震では、災害VCという支援枠組みの限界も指摘された。
 短期間に大量の労働力が求められ、効率的(大量・一斉)に活動を進めていく水害とは異なり、地震後の対応は、余震に伴う危険性に配慮しつつ慎重に進めることが求められる。また避難生活が長期化すれば、支援内容も変化・多様化していくため、ニーズとボランティアの調整が難しい。また、地盤災害であった中越地震では、中山間に散在し孤立する被災集落への支援という課題もあった。これらの集落は災害VCから離れた場所にあり、かつ生活基盤となる農地や地場産業が被災し、緊急対応だけでなく、生活の再建や集落の復興をどう図っていくかが直後から大きな課題となっていた。
 このような状況に対し、災害NPOの関係者の中には災害VCの運営支援から離れ、被災集落に直接入って支援を開始する団体も出てきた。栃木県や愛知県では、災害NPOが県内の関係者をまとめ「オールとちぎ」「あいち中越支援ネットワーク」といった支援の枠組みを作り、特定の集落に入っている。こうした被災集落の支援においては、現地に拠点を構え、緊急支援が終わった後も、中・長期的な視点から、被災者自身の復興に向けた動きを側面的に支援していく活動へとシフトしていった。これらの被災集落では、救援段階が過ぎると閉鎖される災害VCを介した活動とは異なる関係性が、被災者とボランティアの間で築かれていった。
 被災地に直接入り、一人ひとりの被災者と向き合いながら、求められる活動を組み立てていくにあたって、中越地震では「足湯」の活動が重要な役割を果たした。「足湯」とは、足をくるぶしまで湯に浸してもらい、その間に両手から腕にかけてマッサージを行う活動である。阪神大震災で、ボランティアとして足湯を始めた整体師により再開され、各地の避難所、被災集落で行われていった。この活動は、マッサージよりも、むしろその間に被災者と交わす会話に意味があるという。被災者は、温かい湯と人の肌に触れ、抱えている不安や辛さをふと漏らす。そうした呟きに耳を傾け、寄り添う中から、被災者が真に求めていることが垣間見えてくる。
 中越地震では、災害VCを介さず、ダイレクトに被災者・被災地と接していく活動も展開されたが、これらの活動から、改めて、ひとり一人の被災者に寄り添い、その人が真に求める支援を組み立てていくことが災害ボランティア活動の本質であること、また外部の支援者は、被災地・被災者が主体となれるよう、状況に合わせて支援の方法・体制を柔軟に変えていくことの重要性も確認された。

3 .ポスト震災10年の支援活動 ー 中越地震から能登半島地震へ

 2007年3月25日9時42分、能登半島沖を震源とするM6.7の地震が発生、七尾市、輪島市、穴水町で震度6強を記録した。死者1名、全壊640・半壊1,583棟の住家被害が発生し、避難者数はピーク時2,624人(47箇所)にのぼった。地震発生後、石川県庁内に災害対策ボランティア本部が設置されるとともに、被災自治体にも災害VCが開設された。センターの開設状況は表1の通りである。

 以下では、ポスト震災10年に始まった新たな取り組みの中で、能登半島地震で実践に移された特筆すべき活動として、災害VCへの支援と、災害VCの外で行われた活動を紹介する。

(1) 「災害ボランティアセンター」への支援
ー「災害ボランティア活動支援プロジェクト会議」による支援の試み
 能登半島地震発生の翌3月26日、「災害ボランティア活動支援プロジェクト会議」(以下、支援P)が主催する「災害ボランティア活動の充実を目指す対話フォーラム」が予定されていた。集まった関係者は、即座に能登半島地震への支援を検討し、災害VCの体制づくりに重点を置いた支援を行うことを決定、中越地震以降に検討してきた「人・もの・資金」を効果的に被災地に届けていく仕組みを動かすことになった。
 まず、人的な支援については、すでに社会福祉協議会がこれまで行ってきた応援職員の派遣(石川県内および東海北陸ブロック県より、延べ947人)とは別枠で、2005年以降実施してきた全社協主催の災害ボランティアコーディネーター研修を企画運営した講師陣(多くの災害対応を経験)、および研修の修了生を、センター運営のコーディネーターとして継続的に派遣する体制を組んでいった(延べ390人)。
 また、資金的な支援については、経団連1%クラブが、会員企業に対して、中央共同募金会に開設された企業用の窓口(共募への寄付金は免税扱いとなる)への寄付を呼びかけ、これを上述した人的支援の派遣費用や、後述するモノの運搬・調整費用、中・長期的な被災地での復興プロジェクトへの助成などとして運用していった。能登半島地震関係の寄付は、総額で20,281,013円(16企業・団体、3個人)であった。
 物資の提供については、現地に派遣されたコーディネーターから、中央共同募金会に対して必要な物資に関する情報が提供され、その情報をもとに経団連1%クラブが会員企業に寄贈を呼びかけ、調達できた物資を現地と調整しながら送り込むという支援がなされた。共同募金に対する物資の寄贈は、小売価格相当の領収書が発行され免税扱いになる。能登半島地震では、1,630万円相当の物資を支援Pがコーディネートした。
 こうして、中越地震以降に検討されてきた、民間の資源を有効活用していく仕組みが、能登半島地震の被災地で初めて本格的に運用されていった。実際に動かしてみる中で見えてきた課題も多いと言うが、その後、こうした外部からの支援を足がかりにして、地元団体(青年会議所等)が復興を支援していくプロジェクトを開始しており、注目すべき動きとして期待したい。

(2) 「災害ボランティアセンター」の外での支援活動
ー 被災者ひとり一人に寄り添い、緊急対応から復興支援へ
 能登半島地震の発生当日、被災地KOBEでも、それまで災害に関わってきたNGOと学生ボランティアの間で、中越地震で好評であった「足湯」をしようという動きがでてきた。その後、神戸大学の災害救援グループのメンバーを中心に、中越地震の復興を支援してきた大阪大学、さらに中越地震の被災地の大学のグループも含めた「中越・KOBE足湯隊」が結成され、NGOを事務局とし、足湯隊の派遣が始まった。足湯隊は、被災地域の避難所に直接入って活動を開始し、仮設住宅への移行後も息の長い支援活動を継続している。
 災害VCを介した活動は、基本的に求められた作業に対応すれば終わるし、被災者と接点を持たない活動もある(物資仕分け等)。もちろん時間も資源も足りない被災地では、大勢の人の参加を得て、求められる作業をしていくことは非常に意味があるが、被災地の地域特性や被災者の個別の事情に対する十分な配慮が出来ないこともある。
 足湯を通じて得られた被災者の生の声には、家族構成や地域の過去についての語りが含まれており、ここから被災地域の歴史的背景や住民同士の人間関係などが浮かび上がってくる。活動に参加する学生は、被災者の呟きをノートに書き留め、互いに共有しながら、被災者の抱えている問題、地域の将来像、今後必要な支援について検討している。
 このように被災地・被災者が求める支援を考え、組み立てていくことも、ボランティアの重要な役割であろう。こうした活動と災害VCを介した活動とが情報を共有し、連携していくことで、潜在しやすいニーズの発見、専門性の高い支援とのマッチング、復興を視野に入れた支援プログラムの開発等、新たな可能性が開かれていくことを期待したい。

4 .まとめにかえて ー 支援と受援をめぐって

 本稿では、被災地を「支援する側」の立場から新しい動きを取り上げてきた。従って、被災現場の活動実態や、支援を受ける「受援側」の被災地独自の取り組み、活動上の問題等については殆ど触れてこなかった。最後にこの点について少し述べてまとめに代えたい。
 今回の能登半島地震の被災地域は、県庁所在地からかなり離れていたため、本部と被災現場で、十分に状況認識を共有しきれず、支援の受入れ・調整、現場での対応時に問題が発生しやすかったように思われる。例えば、県本部の発案で、ボランティアを大勢募り、金沢市内からバスで現地に送迎する支援が行われたが、現地と十分な調整が取れず、支援需要を大幅に超えるボランティアの受入れを巡って混乱する場面もあった。また乗車したボランティアに対する情報提供、安全衛生対策が不十分だったことも指摘されている。
 これらの問題は、災害対応時に必要な基礎知識の不足、外部支援に対する「受援」に対する考え方(何をどのように支援してもらうか)が県内部で整理しきれなかったことに起因する問題であるとも言える。その後、石川県知事がボランティアの代表者も参加した公的な会議の場で、本来は行政の仕事である災害ゴミの関連業務にボランティアが従事し続けていた事に対し、「被災経験を持つ知人の自治体首長から問題点を指摘され、事故などに至らず助かった」と謝意を述べていたという。行政側の制度の理解も、受援力には必要なことなのだ。
 また、民間団体による災害時の支援体制づくりが進む中、民間の支援と連携・協働した災害対応を進めていくためには、災害対応マニュアル等を作って終わりとせずに、災害対応に関する基礎知識の獲得と、「受援」という観点から、県内市町村の連携体制、外部の団体の支援メニューやその受入れ方について検討しておくことも、必要な対策の一つであると考えられる。

【引用・参考文献】
(有)コラボねっと(2006)『災害ボランティア活動センターの運営と支援に関する調査事業報告書:ひとり一人の気づきを地域の力へとつなげるために』中央共同募金会。
災害ボランティア活動支援プロジェクト会議(2007. 7. 3)「能登半島地震被災地支援活動報告書」。(URL:http://www.shien-p-saigai.org/)
菅磨志保(2004)「災害ボランティア活動の現状と課題」消防科学総合センター『季刊・消防科学と情報(2004年秋号)』No. 78。
全国社会福祉協議会編『ボランティア情報』No. 363。
阪神・淡路大震災社会福祉復興記念事業実行委員会編(2005)『阪神・淡路大震災社会福祉復興記念誌:その時、福祉現場は』兵庫県社会福祉協議会。



NO.90 (2007.秋号)
巻頭随想 自然と付き合って活きるために
1.能登半島地震・新潟県中越沖地震の概要
2.能登半島地震、新潟県中越沖地震における緊急消防援助隊の活動状況について
3.会議の「見える化」で進めやすかった支援ー県市合同会議
4.簡易型地震被害想定システムとその活用ー2007年能登半島地震、新潟県中越沖地震ー
5.緊急地震速報の提供開始〜地震被害を少しでも軽減するために〜
6.阪神・淡路大震災10年以降のボランティア活動ー中越地震から能登半島地震へー
連載講座 連載第6回 防災監のための危機管理講座
連載講座 連載第2回 情報と防災
地域防災実戦ノウハウ(53)
火災原因調査シリーズ(46)・コンロ火災
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