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連載講座 連載第6回 情報と防災

 

防衛大学校安全保障・危機管理教育センター長
教 授 太 田 文 雄

日本人は情報に鈍感なのか?

 前回はカウンター・インテリジェンスについて書きましたが、なぜ各国がカウンター・インテリジェンスを重視しているかと言えば、それはインテリジェンスが即、戦力に繋がり、それを取られることは直接自国の国益を著しく損失することを理解しているからです。
 我が国にとっての例を挙げたいと思います。時は1941年6月。欧州では既に第二次世界大戦が始まっており、ドイツがソ連に侵攻を開始しました。当時スターリンの最大の関心事はドイツの同盟国である日本が、これに呼応して極東のソ連を侵攻するのかどうか、ということでした。現に日本の外務大臣松岡洋介などは、この際ソ連を背後から叩くべきだと主張していたからです。この時ソ連のスパイで東京にいたゾルゲは、近衛内閣の政策決定に影響を及ぼす朝食会に参加していた朝日新聞の尾崎秀実から、9月6日の御前会議で「日本は石油を取りに南進する」という極めて確度の高い情報を入手し、これをモスクワに送りました。この情報を得たスターリンは、極東に貼り付けていた精鋭のシベリア軍団のうち数個師団を欧州戦線に投入し、モスクワ前面の攻防戦でドイツ軍に壊滅的打撃を与えることができたのです。「総理大臣が意思決定したことが、即モスクワに筒抜けになっていた」という事実は、いかに当時の日本の秘密保全、即ちカウンター・インテリジェンス体制がお粗末であったかを示していますが、ゾルゲや尾崎は10月に至って当時の特別高等警察に逮捕されます。しかし今日ではこうした組織や秘密保護法もなく、事態はより深刻であるかもしれません。
 また先の大戦におけるターニング・ポイントとなったミッドウエー海戦の日本側敗北の原因は事前に日本海軍の暗号が米側に解読され、日本側の兵力構成や作戦要領等が米海軍に事前に察知されていたのに対し日本側は全く米側の動静を把握できていなかったためでした。
 こうしたことから、近頃「情報」といった言葉が出るたびに、日本人は情報戦で敗北した先の大戦の教訓を何故生かせないのだろうか、といった嘆きとも諦めともつかないような溜息が聞こえてきます。しかし日本の歴史を調べ、我々の祖先が行ってきた足跡を辿ってみると「必ずしもそうとは言えないのではないか」と思うのです。
 例えば江戸時代である1730年には、現在の大阪市北区にある堂島に世界初の米先物(将来の取引価格と数量を決める)市場ができました。大阪で決まった先物取引情報は10〜20分後には京都に、3時間後には岡山に、当時の手旗信号のようなもので伝達していきました。これはいかに当時の日本人の情報感覚が研ぎ澄まされていたかを知る上で参考となります。英国のネルソン海軍が手旗信号(セマホア)でロンドンの海軍省とプリマス等の軍港間通信を開始したのが1800年前後ですから1、それに先駆けてなされています。現在世界最大の商品先物取引所はアメリカのシカゴにあるシカゴ・ボード・オブ・トレード(CBOT)ですが、シカゴの市場は堂島の米市場のシステムを倣って作られたと言います。私も米国防総合大学の学生時代CBOTに研修に行きましたが、案内者に「大阪の米市場が我々の先駆者だ」と教えられました。
 従って「日本人は情報に鈍感」とは必ずしも言えないのではないか?それを証明する事象として、古事記に見られる日本人の情報観、戦国時代の三快戦、それと明治維新の指導者を育成した吉田松陰の情報感覚について振り返ってみたいと思います。

古事記に見られる情報観

 古事記におけるハイライトは、高天原(たかまがはら)と出雲という国が日本における覇権を巡って激しくしのぎを削り合った国譲りの場面です。高天原は出雲に対し二度にわたりスパイを送り込みますが、出雲側の女性をも含めた懐柔策によって二回とも出雲側に寝返えってしまいます。しかし高天原が出雲に関する情報収集活動を怠らずにしていたが故に現状が認識できていたことに注意すべきです。ここで国家戦略会議が開催され、戦略・情報の神様である思兼神(おもいかねのかみ)が「雉子(きぎす)、名は鳴女(なきめ)を遣はさむ2」として出雲の状況の真の姿を探りに行き、現場での情報収集、高天原の最高司令部からの督戦及び憲兵の役割をも演じる鳴女と言われる「雉(きじ)」を派遣します。雉子とは家の中で飼育する鳥ではなく、野外を自由に行動する鳥であり、足が地に着かない、鳴く大型の鳥が象徴化されていると考えれば、宙を飛ぶので音も出さない、即ち行動が見破られないし長距離偵察の足跡も残さず、地上を行くよりも早く機動して暗号か何かの通信手段を用いつつ、立体的に状況を俯瞰(ふかん)するような情報活動員で、組織立てが特別であることが特徴と考えられるが故の名称でしょう。
 同じく古事記の神武天皇の東征では、熊野山中を進撃する際八咫烏(やたからす)が遣わされますが、これも嚮導(きょうどう)、斥候、偵察といった任務を与えられた情報員なのでしょう。雉も八咫烏も矢によって射殺されますが、何時の時代でもインテリジェンスの任務に就く人達には生命の危険が付きまとっていることを示唆しています。
 雉子も八咫烏も、現代で言うインテリジェンス員という意味に解釈すると判り易いでしょう。それなりの情報マンを養成し、それを運営する情報機関も組織されていたのが高天原ということになり大変興味深いところです。古代の日本には現代的に表現すると物的機材には欠くものの機能面ではC3ISR(Command, Control, Communications,
Intelligence, Surveillance and Reconnaissance
ー指揮・管制・通信・コンピュータ・情報・監視・偵察)に相当する機能が既に存在していたものと考えられます。
 また出雲攻略には、出雲に逆撃されて感情的に憤懣(ふんまん)やるかたなくなる時にも冷静に臨機応変・状況に即応して政治優位の原理原則に従い、国家戦略を策定している「クールな頭」を持っている高天原は、現代の我々が組織管理、危機管理、特にダメージ・コントロールの上でも大変お手本とするべきものと考えられます。
 この情報部隊の迎撃者(インターセプター)として出雲側に現れるのが天探女(あめのさぐめ)です。天探女(あめのさぐめ)は雉子の鳴き声を聞き、先に高天原から使わされたスパイである天若日子に「この鳥は、その鳴く音(こゑ)いと悪(あ)し。かれ、みづから射たまへ(この鳥は、その鳴く声が大変不祥です。ですから、みずから射殺しておしまいなさい3)」として若日子に、天の神が下さった神聖な弓と矢で、その雉を射殺してしまったのです。そして、その血の付いた矢は高天原に届き、それを見た高天原側は逆にその矢を出雲に放ち、朝床に寝ている天若日子の胸に当てて死なすことになります。ちなみに熊野の八咫烏も、悪い鳥として鏑矢(かぶらや)で追い払われます。
 自然界に飛んでいる数多くの鳥の中から、偵察に来た「雉」の工作員を見破るところは、既に出雲には機能的なカウンター・インテリジェンス組織があり、しっかりとした内偵体制を実現し、敵国の言語、地域研究、文化、風俗、思考方法を研究していたものと考えられます。この鳥の飛来を戦略上の「情報」として、何気ない一般事象、すなわち空に鳥が飛んで家のとまり木に何気なく止まり鳴き声を発するということからきちんと「弁別」即ち情報・工作活動として見破って捕捉し、後に展開する出雲の戦略に活用するところは、情報戦プロフェッショナルの存在を証明しているものと考えられましょう。

頼山陽が命名した三快戦

 戦国時代に何千とある「いくさ」のうち、頼山陽(らいさんよう)が「三快戦」と命名した合戦が三つあります。年代順に言いますと、最初が1546年(天文十五年)の川越の夜戦であり、二番目が1555年(弘治元年)の厳島の戦い、三番目が1560年(永禄三年)の桶狭間の戦いですが、共通点は約十倍の敵に快勝した戦いであることです。川越の夜戦は、北条氏康(うじやす)が八千の兵力で上杉憲政(のりまさ)、扇谷朝定(おうぎやともさだ)、足利晴氏(あしかがはるうじ)の連合軍約八万を、厳島の戦いは毛利元就が三千五百の兵力で陶晴賢(すえはるかた)の約二万の軍を、そして桶狭間の戦いは織田信長が約三千の兵力で今川義元の約二万五千の兵を、それぞれ破った戦いでした。欧米戦史の中で、約十倍に敵に対して快勝した戦例を私は寡聞にして知りません。
 私に言わせれば、もう一つ共通点があると言えます。それは全ての戦いで裏に見事なインテリジェンス活動が秘められていることです。特に川越の夜戦と厳島の戦いにおいては、宣伝謀略の勝利ということができます。
 まず川越の夜戦では、北条氏康が上杉等の連合軍を油断させるための謀略工作を開始し、「氏康は臆病な奴だから必ず逃げ出す」といった偽の情報(ディス・インフォメーション)を上杉方に流します4。そして情報機関の笠原信為(かさはらのぶため)に命じて敵陣に忍びを放ったところ、「上杉方は、北条勢が数日後には逃げ出すだろうと見積もって安心しきっている」との報であったため、油断しているところに夜間奇襲をかけて大勝するのです。
 厳島の戦いにおいて、毛利元就は「孫子の兵法」用間篇第十三にある「反間」(敵のスパイを逆に利用)を絵で書いたように見事に実践しています。元就は、天野慶庵(あまのけいあん<)が敵である陶側のスパイであることを承知しながら、彼に「厳島は重要な拠点であって、瀬戸内海の制海権を握るのに役立ち、さらに元就が四国の海賊(海軍)と連絡の必要上これを重視している。従って厳島に大軍を進められることが毛利側にとって最大の弱点だ」と逆宣伝して陶軍を厳島に集めることに成功し、厳島の背後の山岳地から奇襲をかけて一網打尽に陶軍を壊滅させることができました5。このケースは用間篇第十三にある「反間」のみならず「死間6(偽情報:ディス・インフォメーション)」をも併用していると言えます。
 桶狭間の戦いは、駿河の今川義元が上洛しようとしたところを、その途上にあった尾張の織田信長が迎え撃つ戦いでした。今川義元が縦列のまま休憩をとっている、その本陣に信長の精鋭部隊が奇襲をかけて義元の首級を挙げます。戦後の論功行賞において、その第一は義元の首級を挙げた毛利新助(もうりしんすけ)か、槍で義元に致命傷を与えた服部小平太(はっとりこへいた)か、というのが下馬評でしたが、信長の判断は、こうした下馬評とは全く異なり、論功の第一を情報機関の長である梁田政綱(やなだまさつな)に与えたのです7。この論功行賞は梁田の情報活動が如何に適時かつ適切で素晴らしかったかを物語っています。信長は、奇襲を成功させた第一の原因は正確かつタイムリーな情報にあったことを認識していました。

吉田松陰の情報観

 吉田松陰が十五歳で藩主毛利敬親(もうりたかちか)に孫子虚実篇を講義したことは有名ですが、彼は一向宗の「南無阿弥陀仏」の六字と同様、兵法における六字の名号として「治己、知彼、応変」を、その確信にしていました8
 こうした吉田松陰の教えを受けた伊藤博文(いとうひろぶみ)、木戸孝允(きどこういん)(桂小五郎(かつらこごろう))、山縣有朋(やまがたありとも)といった明治政府の指導者達が、己を治め、彼を知って、変化に応じた的確な戦略を構築していったことは想像に難くないと思われます。
 この中で「彼を知る」ということは、「敵情や置かれた環境を知る」ということです。松下村塾の壁に掛けられていた四字は「飛耳長目」、即ち遠方の事をよく見聞する耳目、物事の観察に鋭敏なことを強調していたのです。
 吉田松陰が下田でペリー艦隊に「踏海」を企てたのは、この「彼を知る」という強烈な動機に駆られてでした。松陰はペリー来航の二年前に長崎や平戸で海外情報を収集し、ナポレオンがロシアから退却したことなども知っていて9、ロシアを見たいと長崎に来たプチャーチン提督に依頼しようと長崎に急ぎましたが、プチャーンは四日前に長崎を出港していたことを知り、今度はペリー艦隊に乗り込もうと江戸に戻ったのです。
 ちなみにペリー提督の吉田松陰人物評は「漢文を淀みなく見事に書き、物腰も丁寧で洗練されている。知識を求めて生命さえ賭そうとして二人(共に踏海を企てた金子重輔(しげのすけ)を含む)の教養ある日本人の激しい知識欲、道徳的・知的に高い能力」などと述べた後「日本人の志向がこのようであれば、この興味ある国の前途は何と有望か」と結んでいます10

1John Keegan, Intelligence in War, Large Print,
2003, p. 177.
2尾崎暢殃著『古事記全講』(加藤中道場、昭和41年)、191頁。
3尾崎暢殃著『古事記全講』(加藤中道場、昭和41年)、193頁。
4高柳光寿『古戦場 上巻』(歴史図書社、昭和53年10月)、47〜50頁。
5岡村誠之、『名将と戦史』(軍事研究社、昭和48年)63頁。
6金谷治訳注、『孫子』(岩波書店、1963年)149頁(敵をも身方をもあざむくような外形をとって身方の間諜にそれを本当と思いこませ、捕虜にさせたり、裏切らせたりして、敵にそれを伝えるようにはからう。必ず敵中で殺される運命になるから死間という)。
7岡村誠之、『名将と戦史』(軍事研究社、昭和48年)106頁。
8武田勘治『不滅の人吉田松陰』(青野印刷所、昭和16年9月)56〜57頁。
9岩下哲典『江戸時代の海外情報ネットワーク』吉川弘文館(2006年2月)72頁。
10加藤祐三『幕末外交と開国』(ちくま新書、2004年1月)226〜227頁。



NO.94 (2008.秋号)
巻頭随想 思い込みに気をつけよう
1.中国四川省における大地震災害に対する国際消防救助隊の活動状況
2.中国四川大地震による建物被害
3.四川大地震の起こり方と震度分布
4.四川大地震からの復興について
5.長岡市による四川大地震に対する支援
6.中国・四川大地震現場からの報告
連載講座 連載第1回 被害者優先、天守は不要 ー松平信綱と保科正之ー
連載講座 連載第6回 情報と防災
地域防災実戦ノウハウ(57)
火災原因調査シリーズ(50)・収れん火災
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