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巻頭随想 死をめぐって・・・病院外心停止と救急のニーズ

京都大学 医学研究科 医学教育推進センター  平 出   敦

死をめぐる様相

 “旅に病んで 夢は枯れ野をかけめぐる”

松尾芭蕉

 辞世の句が、歴史時代には数多く伝えられている。こうした辞世の句や歌からは、強い想いや心情を秘めた心境というものを、時間を越えてうかがい知ることができる。上記の芭蕉の句をはじめとして、辞世の句といわれる中には、本当に死を前にした句ではないものも含まれていると推測されているが、それにしても句や歌が詠まれた刹那の中には、日本的美意識が凝縮している。これに対して、現在の社会事情においては、こうした辞世の句やうたを残す余裕は奪われているのかもしれない。しかし、死生観の変遷だけでなく、現実には、現代では人の死をめぐる様相そのものが、かつての歴史時代とは、極めて異なってきていることは我々にとって重要なことである。辞世の句が伝えられている人物とは、時代を特徴づけた特筆すべき人物ばかりであるが、その死の少なからずが、切腹や、討ち死になどの“特別な”死であったことがうかがわれる。では、こうした特別な死を強いられる特権階級とは縁のない一般の人々の死はどうであったろうか。
 長い間、人間の死の原因として最も普遍的であったのは、感染症である。特に、急性の細菌性感染や、特定のウィルス感染は、その代表である。人類が経験してきたペストの猛威や天然痘の脅威は、新型インフルエンザの比ではなかった。また、人類の歴史は、戦争の歴史ともいえるが、実は、戦争にともなう死亡の中で、真に、戦傷によるものは、非常に限られている。たとえばアメリカの南北戦争の兵士の犠牲者の多くは、天然痘であったと現在では推測される。天然痘ウィルスから隔絶された田舎から、多くの青年が徴兵された。免疫のない多くの若者が、天然痘で倒れた。かつての軍隊は、さまざまな感染症の集団発生の絶好の母体でもあったわけだ。近世の我が国では、これに栄養障害の時代が重なり合う。脚気は、我が国の軍隊において、多くの兵士の命を奪った。実際、第二次世界大戦までは、我が国においては、兵士の死の多くは、ビタミンB1欠乏であった。今、感染症や栄養障害の脅威は、決してなくなったわけではない。しかし、それらが圧倒していたかつてとは、先進国では明らかに死の様相が異なっている。未来ある若者が、次々に、いとも簡単にあっと言う間に死んでいく、そのはかなさは、現代の死生観には、失われつつあるのである。

外傷の時代と救急のニーズ

 実際のところ、感染症の時代には、患者に対しては安静と栄養が、コミュニティーに関しては遺体の早期の処置と感染患者の隔離が、主に求められていたところであり、救急のニーズというものは、あまりなかった。しかし、戦後、高度成長時代には、交通事故の増加が避けがたい社会現象となった。車が増えるから交通外傷が増加し、車のスピードが増すから交通事故死も増加したのである。
 こうした状況で、外傷治療をターゲットとする三次救急施設が、急増する交通事故患者のための専門診療施設として、行政の強いバックアップにより次々に開設された。また、高度成長時代には、労災でも高エネルギー外傷が多発した。こうしたニーズにかなう人材を育成するため、我々の世代は、外科の修練を積み、全国の外傷患者を数多く診療する施設で研修を受けた。
 外傷の時代には、救急のニーズは、著しく増大した。外傷死の主な死因は、出血死である。出血死から救命するためには、一刻も早い重症救急施設への搬送が求められるからである。

新しい死の様相としての病院外心停止

 近年、交通事故死は、年々減少にある。平成21年には、実に57年ぶりに5,000人を下回った。現在、57歳の方が生まれたころの水準に交通事故死がもどったのである。すなわち、人が死の様相が、いかに大きく変化するかを実感させる出来事である。
 交通事故死が年間5,000人を割り込む中で、病院外心停止(out-of-hospital cardiac arrest)の件数は、毎年、確実に増加している。病院外心停止とは、病院の外で倒れて、救急搬送が依頼された心停止のことである。消防庁が国際的に標準化されたフォーマットであるウツタイン様式で病院外心停止の記録集計をはじめた2005年には、10万件であったが、2008年には11万件を越えた。2008年には、この11万件のうち、6万件を越える件数が、心原性心停止として記録されている。心原性心停止とは、心臓が原因の心停止という意味であるが、ウツタイン様式では、原因を特定しやすい外傷や特定の疾病などの非心原性心停止を除いたケースを心原性としている。病院外心停止で救命された方の証言では、心停止に至った刹那とは、突然、訪れた真っ暗な世界であり、もちろん辞世の句の余裕はない。
 昭和40年代には、救急搬送される交通事故の傷病者と急病の傷病者の数は、いずれも全搬送件数の30%台でおよそ拮抗していた。ところが、現在は、救急搬送された患者の中で急病の傷病者が60%。交通事故の傷病者が10%と、交通事故による傷病者は、著しく減少している。(平成21年版 救急・救助の現状 総務省消防庁)。すなわち重症の傷病者をめぐる救急のニーズは、近年、劇的に変化しているということがいえる。

主役への道

 外傷死の原因は、緊張性気胸や心タンポナーデなどの外傷性ポンプ失調から、出血性ショックに至るまで、さまざまである。しかし、いずれも、できるだけ早期の専門施設への搬送が鍵を握っている。近年、preventable trauma death(防げ得たはずの外傷死)を救命するための、取り組みが強調されている。このような取り組みは、今後も、非常に重要な救急の課題である。しかし、救急のニーズとして、循環器疾患などで、突然、病院外で倒れる方の救命もまた、外傷死にも増して大きな救急のニーズとして前述のように認識されつつある。このような救急においては、外傷死と比較して、戦略は著しく異なる。特に心原性心停止の場合は、早期に心室細動を認識して、できるだけ早期に現場で電気的除細動を施行することが、求められるのであり、このためいたるところに、AEDが設置される時代となった。救急に求められるパフォーマンスも、単に、医療機関に単に、早く搬送すればよいというのではなく、倒れたその場で、居合わせた人や救急隊が適切に蘇生処置をおこなうかどうかが、求められる時代になった。これは、救急医療において、プレホスピタルケアが主役となる大きな概念変化ともいえることである。すなわち、救急医療機関ではなく救急隊が主役となるパラダイムシフトが起こったものといえる。



NO.99 (2010.冬号)
巻頭随想 死をめぐって・・・病院外心停止と救急のニーズ
1.新型インフルエンザ(パンデミックH1N1 2009)の現状
2.新型インフルエンザとは何か
3.消防機関における新型インフルエンザ対策
4.報道の立場から見た新型(豚)インフルエンザ騒動
5.茨城県における新型インフルエンザへの対応
6.新型インフルエンザに対する救急活動の取り組み
7.新型インフルエンザに対する京都府の取り組み
8.神戸市における新型インフルエンザの対策ーこれまでの対応を振り返った今後の対策ー
防犯まちづくりから消防への示唆
火災・事故防止に資する防災情報データベースについて
連載講座 連載第6回 つらい仕事もチームで楽しくー木下藤吉郎ー
地域防災実戦ノウハウ(62)
火災原因調査シリーズ(55)・倉庫火災
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